Panic! At The KINOKO

どうでも良い日々
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ついつい。
 こちらはお久しぶりになってしまいます。

宮城県は朝晩寒いくらいです。昼間は暑くて、もう体調管理とか地震ありません。
しかし!日曜!いしがきロックフェス!いくんだから!
風邪とかひいてる場合じゃない!
ロットン見たいーはやく見たいー!
あとハスキンと10FEETと…
なんだっけな…

いしがきとか八食とか、早くにはじまってさっさと終わるフェス大好きです。笑
晴れなくていいよ〜くもり最高!
車にETCをつけたいけど…テレビもほしいんだよね…

あしたは給料日ー!ボへへ(笑い声)
| グロロ小隊さとみ軍曹 | ひとりごと | 22:32 | comments(2) | - | pookmark |
あははウフフ。あははウフフ。
 最近右腕が、どうしても痛くてたまらないの。そのうちとれちゃうのかなあ。

じゃあもし右腕がとれたら、僕の右腕をあげるね。

じゃあもし右腕くれたら、私の左目をあげるね。

これで、あいこだね。

あははウフフ。

あははウフフ。

そしてその目で見てごらんよ。汚いものまで見える世の中は、君が思ってるほど汚いものじゃない。
| グロロ小隊さとみ軍曹 | ひとりごと | 21:25 | comments(0) | - | pookmark |
音楽デアイ
 よし、今日こそおわらせるんだ。笑
ごらんのとおり、わたしは「加入」してばっかりです。
最初っからそのバンドにいました、っていう経験がないです。コピバンとか以外は。
ジャニーズJr時代がなくデビューしちゃったような感じです。
そんな環境に恵まれてか、豪華な対バンに恵まれる事も多くありました。
ハワイアンとかスタパンとか…
おそらく対バンの中で一番有名人はジッタリンジンだったけど、
あの人達は自分たちのことミュージシャンではなく芸能人と言っていた。
それが納得いかなかったけど、楽屋では、今まで何百回と聞かれたであろうバンド名の由来を笑顔で話してくれた。
ドラムの女の人はライブ中ずっと笑顔で手首は機械なんじゃないかと思うくらい正確で、これが芸能人の力か、なんて思ったりした。

それから今のバンドに入ったりJECYやめたり、
同い年のバンドが解散していったり、
解散するならまだしもフェードアウトしていったり、
今のバンドのおかげで憧れの先輩バンドと仲良くなれたり、沢山の経験をしたり、限界が見えたりなんだり、

N.E.Sが解散したり、
それがきっかけで思い直すことがあったり、
メンバーが抜けたり変わったり、
足並みが揃ったり揃わなかったり、

今は活動があまりできないぶん、だいぶ落ち着いていますが、それもまたよしだと思います。

どうしても出たかったイベントに出れなかった時も、仙台の松岡修造に「都合つかないじゃない!都合はつけるもんだ!」と怒られたり、しましたが。

先輩の言葉を借りるなら、「罰ゲームのようにライブやりまくってた」時期とかもありましたが。

今は今で良い。
月に1回のライブも出来ないときもあるけど、
今はそれでいいんじゃないでしょうか。
「やってる意味あるの?」なんて、言われなくたって、自分たちでも考えてるし…
たぶん…笑

葛藤をかかえながら、今に至る。
なんて。
ほんとうは、なーんにも、考えてないんだぴょーん。
おわり。
あ!終われた!
| グロロ小隊さとみ軍曹 | ひとりごと | 14:53 | comments(0) | - | pookmark |
音楽デアイ
 現ANSWER野田さんには、とんでもなくお世話になりました。
出会った直後か、もうわかんないけど高校中退したりして、いろいろもめたりなんだりして、今までの人生の中で一番鬱だった時期も、心配してくれてたのか、お外に連れ出してもらったり、ライブに誘ってもらったり、しました。本当に死にたくて死にたくてどうしようもなかったときに、野田さんを通していろんなお友達ができたりして、すごく良い時期を過ごすことができました。感謝。

ほんで、バンドやりたいやりたい騒いでおりましたら、野田さんがやってた空手チョップというバンドのベースが抜けるから入りなさいと、誘ってもらったので、私の人生初バンドは、空手チョップです。笑
メタルなんだか、ハードコアなんだか、3コードな曲を、ボーカルはその場にいた人でやる、みたいな、高校生バンドにしかできないことを、やっていたように思います。
野田さん含め、まわりのバンドマンはみんな宮城野の人達だったので、その頃はまだリハーサルスタジオだったフライングスタジオに集まって、スリップノットに衝撃を受けたり、たっけさんと知り合ったり、わいわいやってました。

そのうち私も大検とって専門学校に進学して、校舎が新寺だったから相変わらずフライングに寄ったりして、それまでにいた宮城野CREWのバンドも、みんな私の1こ上とかだったから、高校卒業して解散、みたいになったりして、沢山の変化もありました。
どのタイミングでか忘れたけど空手チョップも解散して、その後も野田さんとはコピバンやったりテルミンとパソコンでやったり、ばんど組んで私の専門学校のオーディション的なアレに出たりして、楽しんでおりました矢先、野田さんがANSWERを結成まして、ANSWERに入ったのがミナコ嬢で、ふと、「あ、私ではないんだなあ…」と考えたりして、「このまま何でもかんでものださんに頼っていたんではだめだなあ…」と考えたりして、野田離れを決心したのでありました。専門1年のときの話。

初めてサマソニに参加したのもこの年。スリップノットは息切れが激しかった。マリリンマンソンはオーラがはんぱなかった。

2年生にあがる直前に、新星堂のメンバー募集で、JECYに加入。
東北大のF研という軽音サークルで活動してる人達で、たまたまベースを外の人間にしようと考えていたようで、そこに引っかかりました。
F研に入ったのが4月。サークルの先輩バンドだったGOOD NIGHT A FAKERの企画にお誘いいただいてて、それが5月。一生懸命練習したのを覚えています…
ちなみにそのときのイベントには、まだ3ピースだった棘兎も出てたし…笑
レックルも出てたし…
F研は、来るもの拒まずなサークルだったので、先輩たちにも大変かわいがっていただきました。いつのまにか後輩もできたりして、季節ごとにあるライブやイベント、たくさんの思い出があります。
途中でJECYのドラムが抜けて、今カラーボトルで頑張っているZが加入したり、大好きだったコピバンに入れてもらったり、お隣サークルのドロノフネとキャッキャしたり、ツアーやったり、喧嘩したり、いっぱい自主企画もやったし、ネロと一緒に解散ライブしたり…
JECY卒業してからも数年はF研に居座って、先輩とコピーバンドやったり、してましたが。
ここでもまた、年をかさねるごとに、F研離れしなきゃいけないよなあ…とか思うようになって数年。今の4年生を何人か知ってる、くらいF研を離れていましたか。

JECY解散は、私の病気のアレで、バンドを一生懸命やることができなくなったので、誰か欠けるなら解散しようぜって流れで解散しました。
解散する少し前に今の長い名前のバンドに入っていたので、そっちはマイペースなバンドだったので残ることにして、今でもマイペースに続けております。

JECYでも今のバンドでも、対バンに恵まれて、いたように思います。
次回で完結させたい。つづく。
| グロロ小隊さとみ軍曹 | ひとりごと | 19:58 | comments(0) | - | pookmark |
音楽デアイ
 高校は、えいやっ!と、中退してしまうくらい、あまりおもいだしたくもないので、さらっと。

軽音部は1年生はあんまり使えないみたいな、ところでした。
てきとうに人数あつめて、バンドを組んだ、と言い切っていいのかわからないような状態で、
ドラムとか超練習しないとだめじゃん…めんどくせえな…とかおもいつつ、なんとか基本の8ビートくらいまでできるようになったものの、やっぱり「めんどくさい」が勝ってしまい、ギターなんてちまちましたものひけるわけもなく、つまんないなあって思っていたら、ベースのこが「ちょっと交換しようぜ!」っていうので、交換して、TAB譜よみかたおそわって、ゆかにころがっていたブランキーの赤いタンバリンの楽譜をひいてみたら、あっさり弾けた。
「よし、私、ベーシストになろう」と思った。安易。1年生の夏あたりかな。
12点セットで3万円みたいなベースかって、スーパーカーのスリーアウトチェンジが出た頃だったので、必死にコピーとかした。

で、女子校だったのですが、女子特有のごだごだについていけず、2年生の夏ころから登校拒否。結果的に秋には中退。

2年の夏休みに、地元の友達と、夕涼みコンサートに行くのに、朝から並ぶのがおっくうだからって、野宿をした。その野宿というか、勾当台公園でわいわいしてただけなんだけど、そのときに沢山の音楽好きな人達に出会った。1つ年上の、男女でした。
その人達からも多大な影響やら…迷惑やらも…笑
長い事お世話になりました。今じゃ全然だけど。感謝してます。ちなみにこのうちの一人は、仙台の、アスラというバンドで、ベースを弾いています…うちのしょうりんがサポートでドラムを叩いてて、棘兎のイベントで再会したにもかかわらず、「ああ…なんか似てるなあ…」ぐらいにしか思わなかった私はダメだなあ。笑

高校の頃は、無料で見れるライブイベントなんかが結構あったもんです。
ここから私の音楽人生は爆発的に変わります。
ティーンズ東北最終予選を、2年生のときかな?はじめて見に行きました。まだイズミティでやってたとき!たしかビイルスはティーンズ最後の年で、「あのハデな人達はすごいなあ。」とか思ってました。
そこで、「ステップチキン」というバンドが出ててね…
わすれもしません「歌え、叫べ」という曲ですね…笑
ものすごくかっこよくて!というかベースのひとがかっこよくて!笑
たっけさんのバンドとか、やったくんのバンドとか、ユースとか、今のユースのギターさんのバンドとか、出てたんだけど、私はとにかくステップチキンがすごく好きになって、また見たいと思いました。
そして勇気をだして、終了後に話かけて、ライブあるなら見に行きたいんですけど…って言ったら、その何週間後にラオックスであるから来てっていわれました。チケット今もってないから当日わたすからーって。

ほんで、当日行ってみたら、いわゆるスタジオライブのようなやつで、出演者のみなさん(もちろん高校生)が、みーんなタバコ吸ってたので、なんか怖くてチケットくださーいとか言えませんでした。笑
どうしようかなあと思って、ラオックスのスタジオのひとに聞いたら、そこに主催者のかたがいますからーって言われて、現ANSWERの野田さんと出会いました。
おい!のだたんじゃねえからな!
続きます。
| グロロ小隊さとみ軍曹 | ひとりごと | 20:13 | comments(0) | - | pookmark |
音楽デアイ
 もはやかくのめんどくさいから今回で終わるといいな…

やはり私も女だもの、かっこいい男子が好きだった。
そして年上が好きだった。中1くらいのときから今まで同級生に恋した記憶がほとんどない。
というわけで、kinkiの剛とV6岡田くんが死ぬほど好きだった。
なんだろう、関西弁とかにも魅力を感じていたんだろうか。
小6くらいのときも、みんなスマップの誰がいいとか言ってるときに私は浜ちゃんとか今ちゃんとかが好きで好きで仕方なかった。

ジャニーズJrとかもすきだったけど、ジャニーズは、なんか物足りなく感じた。
男臭さというか汗臭さというか…
中2にあがるころTMレボリューションとかが出て来て、好きになった。
それをきっかけに、MYOJOやらPOTATOやら(笑)ばっかり呼んでたけど、ビジュアル系〜ソフトビジュアル系の雑誌を読むようになって、SIAM SHADEとかSOPHIAに激ハマりした。そのときは全然売れてなかったけど。
今はそう思わないけど、ソフィアのボーカルの顔がものすごく好きで、結婚したいと思った(安易)。
ソフィアとかシャムシェイドのおかげで、バンドに興味をもつようになって、特にドラムをやりたいと思った。だってかっこいいじゃん。それだけ。
スピッツとか、ミスチルとか、いっぱいバンドはいたけど、私は男くさくて売れてないバンドが好きだったなあ。

中3のとき、ソフィアがラジオに出るってきいて、NHK FMのやつだったんだけど、まだ売れてなかったから全国区のラジオに出るのはめずらしくて、すごくわくわくしてた!
1時間半もある時間帯ぜんぶにソフィアが出るのかと思ってきいてたら、最初のほうは全然でてこなくて、当時のDJの女の人が自分のすきなバンドをかけまくってる番組だった。笑
そのころ全然日の目をあびてなかったミッシェル、ブランキー、トライセラトップス、グレイプバインとかがバンバン流れてて、特にフィッシュマンズとTOKYO No.1 SOULSETとの出会いは衝撃でしかなかった。
世の中にはいろんな音楽が埋もれている!と思って、気になったバンド名をひたすらメモして、バンド=ビジュアル系みたいなことだと思ってたから、このひとたちもさぞかしかっこいいんだろうなあって思って、メモったバンドが大体のってるロッキンオンJAPANという雑誌をみたら、まあまあまあ…みなさん…笑
サニーデイとか、まあまあまあ…笑
でも中1中2と、さんざんイケメンを眺めて来た反動で、顔はそんなにうまくない人達のことをものすごく好きになった。笑
TOKYO No.1 SOULSETのビッケとかが魅力的でしたね…
ちょうどバンドブームが来て、ブランキーとかミッシェル、バイン、トライセラ、ソフィア、シャムシェイドあたりはテレビでも見れるようになって、
「なあんだ…売れっ子になっちゃった…」みたいな、いわゆるB級好きな感じになった。
受験を理由に10年つづけたピアノをやめた。バンドがやりたかったから、というかドラムがやりたかったから軽音部がある高校、ついでに運動会のない中学だったから運動会もある高校を探したら、選択肢はそんなに無かった。あこがれの宮城野高校にいきたかったけど、私のひっくいヘイサ値ではとても無理でしたとさ。
でまあ無事行きたかった公立高校に受かって、中学終了。小学校も中学校も、あんまり好きじゃなかった。

というわけで長くなったので、やっぱり続きますわい。
| グロロ小隊さとみ軍曹 | ひとりごと | 20:41 | comments(0) | - | pookmark |
音楽デアイ
 KAZZくんやらノリヲさんやらに便乗して私も!



幼なじみの瞳ちゃんがピアノを習ってると聞いて、全然記憶にないんだけど私から「ピアノ習いたい」って騒いだらしく、結構いいピアノを買ってもらう。5歳のとき。瞳ちゃんと、その姉は、KAZZくんと同じ所でスケートをやっていたんだけど、なんで私はスケートに食いつかなかったんだろう。運動はこのころから苦手。
ソルフェージュもやっていたので(ドレミファソーラファ ミ レ ドー♪とかゆうやつね)、音楽の授業はできるほうだし楽譜も読めるし楽しかった。
ピアノ弾くのは好きだったけど練習が嫌いなので、グレード受けたりとかそういうことはしなかったかな…ちゃんとやっといたらよかったな…
当時から特に「私はピアニストになるんだ」とかは思ってなかった。
まさしくやめる理由もなく続けていた。
そしたら小4のときに出会ってしまった。
今でも世界一すきなアーティスト、cornelius!!!
夕方に、番組と番組の間にやっていた、キョードーかどこかのチケット情報番組みたいのがあって、そこでMOON WALKという曲のプロモが流れていて、体中に電流が走ったような脳みそが揺さぶられたような感覚になった。
小学生ながら漠然と「この人みたいになりたい」と思って、読み方も知らない英語の文字をメモったりしてた。
その頃はチャゲアスとかDEENとかが流行ってたから、だれもコーネリアスなんて知らないし(フリッパーズも知らないし)、とりあえず私も流行にのっていた。チャゲアスとかはいまでも普通に好き。

中学校に上がって、年の離れた姉貴がいる少しマセた女子とクラスが一緒になった。そいつが「これかっこいいから聴いてみなよー」って持って来たのがコーネリアスだった。どうやらこのひとは一人でいろんなことをやってるらしいということが分かって、すごく感動した。
で、その借りたCDはMOON WALKが入っているセカンドだったんだけど、コーネリアスはファースト以外すべて問題作だから、だれも理解してくれなかった。
そのマセた女子にはいろんな音楽を教えてもらったような気がする。ジャニーズからビジュアル系やら。中1のときはコーネリアスも好きだけどkinki kidsもV6も好きだった。
つづく!
| グロロ小隊さとみ軍曹 | ひとりごと | 00:57 | comments(0) | - | pookmark |
ぎゃあぎゃあ
 みんなが忙しいときに、私はみんなの代わりになったよ。
君があのこを失ったときに、私はあのこの代わりになったよ。
だあれにも感謝されなくたって。
関係ない嘘の板挟みにもなった。
そのせいで失ったもの沢山あった。
自分さえも見失ったっていうのに、
それでも笑顔で居続けた理由はなんだろう。

答えは簡単で
爆発したらまた嫌われる
それだけ。
いちばんいちばん、こわいこと。

ためこまないで、ちゃんと言う、なんて、
絶対にできないよ
だってまた、めんどくさく思われちゃうんだよきっと
怖いんだもん

いろんなしがらみから解放されたと思ったんだけど
未だにわたしは板挟みになって、
だれかの代わりでしかなくて、
いつになったら、
私は私になれるんだろう。
代わりじゃなくて私を必要としてくれるんだろう。

いろんなことに疲れちゃった
嫌われないように頑張るのも
誠意のない人のフォローするのも
嘘をしらないふりも
感謝も何も無い人を守るのも
まだしなきゃいけないのかな。

ぐちゃぐちゃ
「居場所が無い」とかじゃない。
居場所はたくさんある。でもどこにも居たくない。
なんでかわかる?
代わり、としか必要とされてないから。

とか考えこんだ日でした。
お仕事が決まらないストレスとかです。
それにしても、内容証明代行高すぎ。
| グロロ小隊さとみ軍曹 | ひとりごと | 22:46 | comments(0) | - | pookmark |
とまれとまれ
 とまれとまれ。
川の流れよとまれ。
風の流れもとまれ。
時間よとまれ。
朝なんて来るな。
距離よ縮まれ。縮まるな。縮まれ。


| グロロ小隊さとみ軍曹 | ひとりごと | 03:29 | comments(0) | - | pookmark |
1ビット!2ビット!帰りたい〜
こちらの動画をご覧いただこう。
うちらの年代で、ひらけポンキッキをかかさず見ていた人ならみんなうっすら覚えているはず、「SOS ペンペンコンピューター」

怖すぎる…パタパタママより前のポンキッキ童謡は、まじで怖い…

そのなかでも、この曲は絶対歌詞に裏話があると睨んでいます。
なんかのってないかなあっていうあれで調べ始めたら、こんな時間。
はっきりとした裏話はでてこなかったんだけど、
1.とりあえず放送禁止ソングらしい
2.おひるねグーグーは、実際はお昼寝じゃなくコールドスリープの事。
3.2001年宇宙の旅という映画(原作は小説)を見たあとにこの曲をきくと恐怖感が増す
くらいしかわかりませんでした。
なんでこういう歌が子供番組で歌われたのか。

私の仮説1。
この時代にはまだコンピューターとか今よりアレだったし、制御とかも細かくできなかった段階で使っていたのだと思う。
開発者達は「大丈夫!コンピューターはインプットされた事しかやらないから!」とか言ってたと思うんだけど、とうてい人間脳ではそんなの理解でき るわけがなくて、「コンピューターが意思を持ったらどうするんだ!」とかなるし、開発者達も技術を自分だけのものにしたくて手の内を明かさなかったとおも うので、もう一般人からしたらそんな謎だらけのものは「コンピューター=宇宙人」みたくなってしまった。ので、その宇宙人が今は制御されているけど意思を 取り戻してしまったらこうなってしまうだろう。ああ怖い。そんな歌。

仮説2。
仮説1だと「インプットどおりにやっただけ」の説明がつかないので、宇宙船をつくったNASAに、宇宙人がいる。

仮説3。
NASA職員が度重なる謎の殉職。の真実がこれ。またはそういう都市伝説の、歌。

仮説4。
機械にばっかり頼っているとだめだよ!という脅しの歌。

仮説5。
仮説2の地球人になりすましている宇宙人職員は、最後に白黒画面にでてくる気持ち悪い女性である。

もう眠いのである。ねる。
| グロロ小隊さとみ軍曹 | ひとりごと | 03:41 | comments(2) | - | pookmark |

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